大東アイ(四方山話)
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<大東アイ1370話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
ゴルフ日記の書き方
ティーチングプロの役割は、ゴルファーをサポートすること。 自分自身で、気付きが得られるように。 ゴルファーそれぞれの鏡になること。 ゴルフスイングは、自分で見ることが出来ない。 同様に、自分のゴルフゲームも見えていないことが多い。 そのために、客観的に見る努力が必要となる。 「ゴルフ日記」は、自分自身を見つめなおす役割も担っている。 自分の言葉で書き留めることで、記録にのこす。 いつでもゴルフバックの中に携帯して、気付きがあった時に書き留める。 出来る限り客観的な数字やデータ等を入れる。 練習場では、どんなクラブを何球練習したか? 打球の方向は? ターゲットとの誤差は? 出来れば、図にしてプロットすれば、一目瞭然に分かる。 こんな資料が出来れば、コーチとの会話もスムーズに行く。 上達には、欠かせない、自分自身を見つめる作業である。 平成20年7月13日 |
<大東アイ1369話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
ゴルフホームドクター・ゴルフ日記
ゴルフホームドクターの生徒さんには、ゴルフ日記をさし上げている。 ●
練習やラウンド時にゴルフ日記を付けます ●
客観的な数字やデータ等を記録します ●
気付いた時に、自分の言葉で書き留めます ノートに付ける事で、自分自身を客観的に見つめることができます。 また上達の過程を確認することも可能となります。 最初のめー時には、「ゴルフの夢」を記入してください。 ゴルファーの夢の実現をお手伝いします。 平成20年7月12日 |
<大東アイ1368話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
緑の絨毯を歩く
名門ゴルフコースを回ると気が付くことがある。 コースの趣を感じる。 コースと自然が調和しているようだ。 せっかくだから、コース中央を歩いてもらいたい。 フェアウエー真ん中まで続くウォークウェイ。 歩きながら、コースと触れ合うことができる。 そんな演出もしてくれている。 緑の絨毯を歩く贅沢を捨てて、カートに乗るゴルファーが多い。 もったいない、もったいない。 平成20年7月11日 |
<大東アイ1367話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、 いそぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。 心にのぞみ起こらば困窮したるときを思い出すべし。 堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。 勝つ事ばかり知って負くる事を知らざれば、害、その身に至たる。 己を責めて人を責めるな。 及ばざるは過たるより勝れり。 慶長八年正月十五日 徳川家康」 平成20年7月10日 |
<大東アイ1366話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
バードングリップ
「ゴルフのグリップは、なかなか、難しい!」 野球やテニスは、自然と握りが決まるのに・・・・ 何故でしょう? それは、ゴルフグリップが、比較的細い形状で出来ているからです。 昔は10本の指で握っていたのが、20世紀初頭から、ハリー・バードンが考案したオーバーラッピンググリップが主流となる。 右手の小指を左手の人差し指と中指の間に絡ませる。 でも、注目されるべきは、左手の親指を右手の腹で包み込むこと。 ゴルフグリップ自身が細いので、太さを出すために親指を添えているのでしょう。 そうすることで、右手の平に心地よい太さとなるのです。 平成20年7月9日 |
<大東アイ1365話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
日本オープン歴代チャンピオン
今年で73回を迎える日本オープンゴルフ。 1927年にスタートして、アマチュアの赤星六郎選手が優勝した。 ゴルフミュージアムの倉庫に追いやられた、大きな看板がある。 寂しく追いやられている分、懐かしさがただよう。 2005年に廣野ゴルフ倶楽部で開催された折に、製作されたもの。 1927年
5月28日-29日
赤星六郎
程ヶ谷カントリー倶楽部
1928年
5月26日-27日
浅見緑蔵
東京ゴルフ倶楽部・駒沢コース
1929年
6月8日-9日
宮本留吉
茨木カンツリー倶楽部
1930年
10月25日-26日
宮本留吉
茨木カンツリー倶楽部
1931年
10月31日-11月1日
浅見緑蔵
程ヶ谷カントリー倶楽部
1932年
10月8日-9日
宮本留吉
茨木カンツリー倶楽部
1933年
10月6日-8日
中村兼吉
霞ヶ関カンツリー倶楽部・東コース
1934年
大会中止(関西台風水害のため)
1935年
10月30日-11月1日
宮本留吉
東京ゴルフ倶楽部・朝霞コース
1936年
10月28日-30日
宮本留吉
鳴尾ゴルフ倶楽部・猪名川コース
1937年
6月3日-5日
陳清水
相模カントリー倶楽部
1938年
10月11日-13日
林万福
藤沢ゴルフクラブ
1939年
6月7日-9日
戸田藤一郎
廣野ゴルフ倶楽部
1940年
5月28日-30日
宮本留吉
東京ゴルフ倶楽部・朝霞コース
1941年
5月8日-10日
延原徳春
程ヶ谷カントリー倶楽部
1942年-1949年
第二次世界大戦のため、大会中止
1950年
10月2日-3日
林由郎
我孫子ゴルフ倶楽部 その昔、歴史の重みのある名門ゴルフクラブで開催されてきた、 伝統の公式戦優勝者の名前が刻まれていた。 平成20年7月8日 |
<大東アイ1364話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
宮本ゴルフ製作所
日本の球聖と言われた宮本留吉プロ。 昭和6年にはアメリカ大陸に渡り、ゴルフトーナメントに転戦している。 当時の球聖、ボビー・ジョーンズとエキジビションマッチで勝ったことは、有名である。 勝負に勝って手に入れた、ボビー・ジョーンズのサイン入りの5ドル紙幣は、今もゴルフミュージアムに展示されている。 そんな宮本留吉プロは、晩年までクラブ造りで腕を振るった。 「ゴルフ一筋」を読むと、日本のゴルフ草分け時代を垣間見ることができる。 平成20年7月7日 |
<大東アイ1363話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
「念ずれば花開く」宮本留吉
廣野ゴルフ倶楽部内にあるゴルフミュージアム。 宮本留吉プロ書の額が飾られている。 「人の世は山坂多い旅の道」 年令の六十に迎えがきたら 還暦 六十才 とんでもないよと追い返せ 古希 七十才 まだまだ早いとつきはなせ 喜寿 七十七歳 せくな老楽これからよ 傘寿 八十歳 なんの未だに役にたつ 米寿 八十八歳 もう少しお米を食べてから 卒寿 九十歳 年令に卒業はない筈よ 白寿 九十九歳 百歳のお祝いが済むまでは 茶寿 百八歳 未だお茶が飲み足らん 皇寿 百十一歳 そろそらゆずろか日本一 念ずれば花開く。 ゴルフ一筋の宮本留吉プロらしい言葉である。 平成20年7月6日 |
<大東アイ1362話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
インターネットレッスン受付中
PGAのサイトからインターネットレッスンが受けられる。 「インターネットレッスンとは動画とインターネットを活用したレッスンです。 今なら、なんと630円で。 一度、お試しください。 平成20年7月5日 |
<大東アイ1361話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)
ジュニアの姿が増えてきた
ゴルフ練習場にもジュニアの姿が増えてきた。 親子ずれでゴルフをする姿は、微笑ましい。 石川遼君効果であろうか。 3世代でゴルフを楽しまれている家族も少なくない。 そこで小生から、アドバイスを少々。 1.
言葉よりも見本を見せてあげる。 2.
安全面に配慮する。 3.
ニアピンコンテストのようなゲームを取り入れる。 4.
形はダイタイでいい。 5.
目を離さないこと。 平成20年7月4日 |