大東アイ(四方山話)

11話〜20話

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大東アイ 第20話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

ジョージ・ブッシュ再選 −メディアの偏り―

ジョージ・ブッシュの再選が決まった。

以前、ティーチングプロのジョー・ティール氏と食事をしながら政治の話になった事があった。

「マイケル・ムーアー監督の「華氏911」が放映され、ブッシュ批判が繰り広げられても、彼は再選されるであろう」と悲しい目をして語っていた。

小生も映画をみて、「これほどのことが行われているのであるなら、再選される事は無いはず」と思っていたのだが。

現実は、ジョーが言った通りとなった。

話は19815月に遡る。小生がアメリカ留学して1ヶ月、ユダヤ人ルームメートの自転車が滅茶苦茶に壊される事件があった。

その時初めて、「2000年の歴史を経ても消えない宗教の争い」を目のあたりにした。

それまでの自分に入って来ていたアメリカに関わる情報は、日本のメディアのフィルターを通して伝わって来ているものであった。

そんな情報に影響をされ、淡い気持ちを抱いて単身アメリカまで渡った。

1864年に鎖国時代の日本から、国の掟を破って脱出した、母校同志社の創始者である新島襄先生に対する憧れもあった。

3年間という長いようで短い期間だったが、多くの事を学ばせてもらった。

それと同時に、自分自身が日本人である自覚と認識も少しばかり生まれて来た。

いま日本のテレビや新聞をはじめとするメディアは、あまりにも偏りすぎている気がしてならない。

全てが、視聴率と発行部数のためのワイドショー的になってしまっている。

確かに新潟地震は大変なことで、ニュースソースにはなるのだが、その取上げられ方は、あまりにも極端ではないだろうか。

反対に、ある時期を過ぎ大衆の興味が無くなれば、全くと言って良いほど見向きもされなくなる。

現在インターネットの普及で、個々人が自分の意見を発信できるようになった。

情報を受けるだけの立場の人間が、自分の意見も言えるメディアを得たことにことになった。

これははっきり言って凄い事。しかしある意味危険なことでもある。

イラクで人質として殺害された香田証生さんの映像が全世界に流されるのであるから。

そしてあのむごい殺害の映像までが、、、

改めてメディアとインターネットの持つ意味を考えさせられた。

平成1611月5日

 

大東アイ 第19話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

世界一のボールストライカー=モー・ノーマンを偲ぶ

記念写真が嫌いなモーとの貴重な2ショット
ボールを打つことに関しては世界一と言われたモー・ノーマンが94日に亡くなった。

享年75歳。世界最小年齢のエイジシュート(59歳の時に59ストローク)、その他にも59を3回をはじめ、ホールインワンが17回、40を超えるコースレコード等々逸話は言い尽くせない。

ゲーリー・プレーヤーやリー・トレビノは、「ボールを打たせたら、モー・ノーマンの右に出る者はない。パイプライン・モーのあだ名通り彼のショットはいつもパイプラインの中を通っているように真っ直ぐしか飛ばない」と言っている。

その昔、20ヤード先のフェアウエーに川が横切っているホールで、サム・スニードがレイアップしたのにもかかわらず、モー・ノーマンはドライバーを握っていた。

狙った先は、川の真ん中に掛かっていた橋。

ボールは見事橋の手前に落ちて、その橋を渡って向こう岸に転がった。まるでボールが意思を持った生き物のように。

計ったように白い帯の上をボールが飛ぶ

計ったように白い帯の上をボールが飛ぶ

小生がモー・ノーマンのビデオ撮影の為にカナダに行った時のこと。

50センチ幅の250メートル白いシーツを用意して一直線に地面にセットする。

その白い帯の上にドライバーで放たれたボールが落ちていくのである。嘘のようなほんとの話。

カナダ国内でのトーナメントには数々の優勝を重ねたが、自閉症の彼にとって異国のアメリカでの成績は良くなかった。

優勝しそうになると、インタビューに答えるのが億劫になり、わざとスコアーを崩したとか、、、

初対面では人見知りをして、小生と初めて会った時も、会話の間中、モーはドライバーを手から放そうとしなかった。

ちょうどスヌーピーのセキュリティーブランケットのようなもの。

しかしピュアーなストレートのボールを打つことに関してはピカ一で、晩年はデモンストレーションでゴルファーを楽しませてくれた。

ピュアーなのは、放たれるボールだけではなく、人間としてのモー自身もであろう。

映画「フォレストガンプ」の主人公を地でいっていた。

映画では主人公が卓球を飽きることなく練習していた姿を、モーはゴルフでやっていた。

また映画「レインマン」のダステー・ホフマン演じる主人公が持っていたフォトグラフィックメモリーも、同様である。1992年に小生が、モーと話をした事の一部始終を、3年後に会った時に覚えていたのには、驚いた。

彼のスイングを「脅威のハンマー打法」として書籍やゴルフ雑誌で日本に紹介したりもした。

飛行機に乗ることが嫌いなモーを日本につれて来ようと試みたことも今では懐かしい思い出だ。

コカコーラが大好きで毎日1リットルは欠かさず、1オクターブ高い声の聞き取りにくい訛りは、通訳泣かせのでもあった。

「俺のキャディーバックの中には、パーとバーディーしか入っていない。ボギーは、自分を疑う気持ちが作り出す物。」と教えてくれた。

パイプラインモー、ピュアーなモー・ノーマンから多くのことを学ばせて頂いた。ご冥福を心からお祈りする。

平成16114

 

大東アイ 第18話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

ゴルフ学会近畿支部理事会開催 ―ゴルフを科学する研究団体―

 小生、ゴルフ学会近畿支部の理事を仰せつかっている。ゴルフ学会とは、ゴルフを科学する研究団体である(ホームページhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/jsgs/)

1987年に設立され、1992年には東京にて「世界ゴルフフォーラム」が盛大に開催された。

世界10カ国から多くの学者達が集まり色々な研究発表がなされた。

小生も「世界一のボールストライカー、モー・ノーマンのスイング分析」の発表や通訳のお手伝いをした。

また大阪で開催された15回記念総会で、「視覚と意識の分離によるゴルフスイングの変化の考察」と題した研究発表をした。

 その実験の発表内容は以下のようなもの。

ゴルフでは「素振り美人」「素振りシングル」「明治の大砲」という言葉が言い尽くされてきた。

素振りではきれいなゴルフスイングをする人でも、実際にボールを打つときは素振りと似付かわないものとなる。

何故かと言えば、人間は視覚のある所に、意識が来るようになっている。

地面のボールをシッカリと見ることにより、ボールに意識が集中して、ボールを打つスイング(明治の大砲)となる。

本来の目標は、250ヤード先のフェアウエーや150ヤード先にあるピンである。

アドレスで目標を2秒以上凝視した後、目線だけをボールに戻す。

その時ボールは、ぼや〜と見るだけで頭の中は鮮明に目標をイメージした状態を保つ。

このトレーニングを30分するだけで、「明治の大砲」であったゴルフスイングが、素振りのように振り抜きの良いスイングに変身した。

そしてヘッドスピードが、平均12.5%上昇した実験結果が得られた。

これが、「視覚と意識の分離」である。

今までのレッスンでは、スイングを形から修正したり矯正することが多かった。

しかしイメージの持ち方を変える事により、スイングの形が変わる代表的な例を示した事例実験であたった。

今後もゴルフを科学してハッピーゴルファーの創造に貢献できれば幸いだ。

平成1611月3日

 

大東アイ 第17話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

盛和塾<大阪>入塾説明会に参加 ―入社面接試験の気分−

「ゴルフホームドクター」の角田会員の勧めで盛和塾の入塾テストを受けた。

盛和塾とは、京セラの創業者、稲盛和夫氏の経営哲学に学ぼうと集まった異業種交流会。

角田さんは、以前よりこの勉強会に参加されていて経営哲学を学んでおられる。

小生も以前より稲盛氏のテープを聴いたり書籍を読んで興味があった。

気楽な気持ちで入塾説明会に出席したのだが、現状は入試面接テストの雰囲気。

小生も含めて入塾希望者の7人が、面接官の居並ぶテーブルを前に座る。

順番に自己紹介をして入塾の動機、将来の目標などを述べたあと、先輩諸兄からの質問が繰り返された。

中途半端な気持ちで参加して、将来の事業目標等を明確に述べることが出来ず、冷や汗が出ると同時に、背筋が伸びる思いがした。

 その後、オブザーバーとして特別勉強会に参加して京セラミタの関会長の講演を聞いた。

1998年に倒産したミタ工業を京セラから単身乗込んでV字回復させた立役者。

昨年の売り上げは2141億円、利益率13%を達成。今年度は2350億円、利益率16%を予定しているとのこと。将来は5000億円目指して奮闘中。

 関会長は、京セラフィロソフィーとしての高い目標を持つ大切さを力説された。

「潜在意識にまで透徹するほどの強い持続した願望、熱意によって自分の立てた目標を達成しよう」。

自分自身で「こうなりたい!」と、どこまで本気で自分の心の中で思うか!?が大切。

頭だけで理解するのではなく、お腹に落とし込むまでだ。これは、ゴルフについても同じ事が言えるであろう。

たかがゴルフ、されどゴルフ。

「ゴルフが上手くなりたい」だけでの淡い願望ではなく、「潜在意識にまで透徹するほどの強い熱意」が持てるかどうか。

また成功の為の方程式として、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

能力、熱意とともに、人間として正しい考え方を持つことが大切。

企業経営もゴルフに取り込む姿勢も、同じなんだ。

平成16112

 

大東アイ 第16話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

80歳の現役ゴルファー 

−交野カントリー倶楽部の総務委員会で川井金治郎さんと一緒にラウンド−

小生、交野カントリー倶楽部の総務委員会を仰せつかっている。

交野カントリーでは、「ゴルフホームドクター」の合同練習会や、プロ達のラウンドレッスン等で非常にお世話になっている。

この場をお借りして、「いつも有難うございます!」。

総務委員会といっても、他の委員会にかからない議題について、年に一度ぐらいの会合を開くぐらいのもの。

山田委員長も「委員会を開く必要が無いということが、倶楽部の運営が上手くいっている証拠」と議題が無い事が喜ばしいとのこと。

今回は、チャーターメンバー(開場以来のメンバー)での川井金治郎さんとラウンドを伴にした。

大正13年の1031日生まれの当日が80歳の誕生日。

矍鑠として元気そのもの。

なんと「今日で3日間連チャンでラウンド」とのこと。

昼にはビールジョッキと酎ハイ2杯。信じられない!

ゴルフもお上手で、後半になるほど調子を上げて来る。

「後半は筋肉が柔らかくなるから」という。

何よりも素晴らしいのは、毎ショット後の笑顔。

ほんとにゴルフを楽しんでおられる。

「苦労を伴にしてきた亡き妻が余生のゴルフをさせてくれている」と戦後まもなく中国から引き上げて奥さんとリヤカーを引っ張って運送屋を始めた話をして下さった。

小生もゴルフが出来る事に改めて感謝する気持ちを持つ事の大切さを感じた。

有難うございました。

エイジシュートを目指して頑張って下さいね!

平成16111

 

大東アイ 第15話> 大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

学校で出前レッスン―同志社香里高校の大同窓祭―

今年の同志社香里の大同窓祭は、大黒摩季のライブで盛り上がった。

第一部のパネルディスカッションではコピーライターの糸井重里氏と建築家の大江匡氏が「時代を斬る」と題した話も為になった。

毎年、同窓会会長でツタヤの増田宗昭社長が、知人を連れてきて話を聞かせてくれる。

一昨年は、今話題の楽天の三木谷社長と有線ブロードバンドネットワークスの宇野社長、昨年はローソンの新波社長と日本コカコーラの魚谷社長だった。

中庭では、応援団とチアーガールによる演舞のほか、卒業生が模擬店を出展する。がんこ・大同門・ラーメン、おでん、洋菓子、焼き鳥などの食べ物に加えて、ツタヤ、ロゴス等の物販もある。小生も半強制的に出展を強制されて、ゴルフレッスンコーナーを出した。

いわゆる出前レッスン。

簡易のゴルフネットを設置して、ゴルフスイングをデジカメで動画撮影して、パソコンにて診断を行うもの。

早朝から北西コーチに手伝ってもらって設営を行った。

生憎の小雨の中で、お客さんは少なかったが、北西コーチにとっては良いトレーニングの場となった。

デジカメからパソコン、そしてCDに焼き付けて、一人一人に手渡す。お客さんが続くと、デジカメ1台、SDカード3枚、パソコン2台を駆使して使用し、しかもその間段取り良くスイング診断をするのは、なかなか至難の業。

ちょうど、11月の中旬から上海にゴルフレッスンに行くにあたって、同じプリゼンテーションをする必要があるから良い練習となった。

ゴルフレッスンに関しては、日本は先進国。特にITを駆使したゴルフレッスンは今後どんどん中国にも広まって行くことであろう。「出前レッスン」が同窓会に留まらず、海外で展開される日も間近だ。

平成161031

 

大東アイ 第14話>  大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)

中国のゴルフ事情  

 ギネスブックにも認定された世界一のゴルフ場が中国にある。

香港から車で40分ほどのシンセンにあるミッションヒルズカントリークラブ。なにせ同施設内に18ホールのゴルフ場が10コース、なんと180ホールのゴルフ場だ。

1995年にワールドカップが開催され、2001年には、タイガーウッズが優勝したコースとして有名である。

また昨年314日から16日までダイナスティーカップが開催されたコース。

現在は5コースが営業しており、来年の6月までに10コースが全てオープンする予定。

現在でもキャディー数は1200名在籍しており(写真参照)、随時オープンするコースに合わせて現在も募集中である。

物価や賃金が安い中国でもゴルフに関する価格はとても高く、プレーフィーは平日で750元(約11,250円)、週末は1,500元(22,500円)。

工場で働く労働者の賃金が毎月2千元から3千元(3万円から45千円)から考えれば庶民にとってゴルフは「高嶺の花」以上の存在である。

それでもミッションヒルズゴルフクラブには、週末1日で1300人を越えるプレーヤーが来場すると言うのだから、貧富の差が激しい中国の状況が推察できよう。

会員数は現在4000人が在籍しており、現在も33万元(約500万円)で募集中。まるでどこかの国にバブル期の話みたいだ。

中国のゴルフ事情を知るうえで、上海の練習場の現状が興味深い。

中国の物価は日本のそれに比べて5分の1から10分の1と言われている。

しかし事、ゴルフに関しては日本と逆転する。

 上海大都会高爾夫倶楽部の練習場の料金は、1球1元(約15円)である。レッスンフィーはマンツーマンの場合、60分800元(約12,000円)と日本より高い(表:GOLF LESSON TARIFF 参照)。

中国ゴルフ界で求められているのが、指導者を含めてゴルフプロフェッショナルの存在。

ゴルフ場や練習場のハード面の開設に比べて、レッスン、システムサポートやスタッフ教育等のソフト面が、追いついていないのが現状である。

幸い小生は、今まで日米ゴルフ界の橋渡し的な仕事をさせていただいた経験上、人材育成やレッスン等、中国ゴルフ産業のソフト部分のサポートを行なっている。

今後は日中ゴルフ界の仲立ちをさせて頂き、両国のゴルフ界の発展に寄与できれば幸いと考えている。

平成161029

 

大東アイ 第13話>     大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

赤面症と対人恐怖症を克服して−母校の為に講演会−

小生、講演会に呼ばれることが時々ある。

昨日も同志社大学ラグビー部OBの集まりの「志友会」に呼ばれて「ゴルフ上達の方法」と題して話をさせて頂いた。

同志社大学ラグビー部OBの皆さんは元日本代表の林敏之さんはじめ有名な方、お歴々な方々ばかり。

前回の公演者が西武の石毛元監督と言うから少々緊張する。

小生は大学に入るまで、赤面症で対人恐怖症、自閉症の一歩手前であった。

そのころは人前で話をすることなど、考えられなかった。

そんな自分自身が嫌で、何とか変えたくて、「自分で自分の背中を押し続けた」。

特にアメリカ留学時代の3年間は自己PRを鍛錬する連続であった。

なにせ自分を表現することなく評価されることがない社会だから。

おかげで今ではマイクを持つことが快感となってしまった。

色々な場所で、講演をさせていただいて光栄なのは、東香里ゴルフセンターや「ゴルフホームドクター」のPRが出来ることである。

宣伝の機会を与えていただいているようなもの。

その代わりと言っては失礼だが、小生の使命は、聴衆の皆様に役立つ事を提供すること。

その為にパソコンとプロジェクターを使用してスクリーンにスイング映像やパワーポイントを駆使したプリゼンテーションを行う。

これらのテクニックは、博士課程の研究発表の過程で鍛えられたものだ。

ゴルフスイングは、クイックタイムでコマ送りコマ戻しを繰り返すことにより、言葉で説明するよりも、より明確に目に訴えることが出来る。

ティーチングプロにとっては、必須条件のソフト。

講演が終了した後の懇親会では「ゴルフ悩みの相談」コーナーとなってしまった状態。

皆様の研究熱心には敬服する。小生が尊敬するF先輩からもお礼のメールを頂き、光栄の極み。

大東先生昨日のご講演、ありがとうございました、ゴルフに関わらず、他のスポーツにも通じる講演でした、また自分の人生を再認識できる機会でもありました、期待せず挑んだせいか、すんばらしく昨日は刺激がありました、ほんとにありがとう」

講演記録は http://www.naturalgolf.co.jp/movie.htmlで聞くことが出来ます。楽しい機会を与えて頂き、先輩の皆様、有難うございました。

平成161027

 

  大東アイ 第12話>     大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)  

−ゴルフ界でも多い−「日本の常識は世界の非常識」その@

「日本の常識は世界の非常識」と言われるが、ゴルフ界でも多く見受けられる。

今回はティーチングプロの話。

1995年に田中秀道プロがシンデレラボーイとして日本ツアーに出てきて、メンタルトレーニングが着目された。またここ4,5年でプロを教えるティーチングプロが日本でも一般的に認知されてきた。

手前味噌であるが、それ以前に小生がスポーツ心理学者の世界的権威であるボブ・ルーテロ博士に3日間のインタビューしたことがあった。

USPGA主催で2年に一度開催される「ティーチング&コーチングセミナー」が開催されたニューオリンズから、飛行機でルーテロ博士宅のあるシャーロット空港に降り立った。

雨が降りしきる中、博士自ら空港まで小生を出迎えてくれて、自宅にて2泊3日間の長ロングインタビューをする事が出来た。

そこ時の話を週刊パーゴルフにて1年以上に渡り連載し、当ホームページにもアップをしているので是非とも目を通して頂きたい(http://www.naturalgolf.co.jp/rutero/index.htm)

その頃から小生は、ゴルフ雑誌等で「日本のプロゴルフ界は、監督やコーチのいない野球チームのようなもの」と、いささか過激な発言を繰り返してきた。

アメリカツアー選手は、ティーチングプロとメンタルトレーナーやフィジカルトレーナーから専門領域のサポートを受けている。

しかし日本のプロゴルフ界の場合、ゴルフ場所属の師弟関係で成り立っているケースが多かった。学生プロ達が出現して、その構図はゆるくなったようだが、「選手としてプレー」することと「ティーチングプロとしてサポート」することの職域が分離されていない状態が続く。

レッスンをするのは、プロになれなかったアシスタントプロが生計を立てるために行うケースがほとんど。

人に物事を教えるのにもかかわらず、その専門の勉強をする事なく、自分の経験を通じての曖昧なものが多かったから、日本のティーチングに関する遅れは続く事となる。

それらに風穴を開けてきたのは、江連忠コーチや内藤雄士コーチ達であろう。

アメリカに渡り最新のレッスン論を勉強して、ビデオやパソコン等も駆使しながら日本に導入している。

日本のプロ選手も専門的なサポートの必要性を感じて彼らティーチングプロと契約を交わすケースが増えてきた。

しかしである。

ここでも「日本の常識は世界の非常識」がある。

世界的にみて、ティーチングプロとして大勢するのは50歳を過ぎてから。デビッド・レッドベターやブッチ・ハーモンしかり。それだけティーチングプロとして習得するべき事が多いのであろう。

日本の場合、前述のティーチングプロ達は30歳半ば。年齢が若いから能力が劣るとは言わないが、日本特有の現象である事は間違いない。

平成161026

 

  大東アイ 第11話>

 

 

大東アイ(大東の目を通して見たゴルフ界のお話)

藍チャン凄い!−古閑美保との死闘を制する−

 女子プロトーナメントが盛り上がっていることは、ご存知の通り。今週の「マスターズGCレディース」では、人気の宮里藍プロが古閑美保プロとの死闘を制して優勝した。

しかもパク・セリやカリー・ウェブ等の海外招待選手や不動裕理プロを押えての堂々とした勝ちっぷりだ。男子のブリジストンオープンに丸山茂樹プロが凱旋参戦をして盛り上がったにもかかわらず、25日の新聞扱いは藍ちゃんの方が大きく取上げられていた。

話は変わるが、小生1990年代に日本のプロや研修生を連れてフロリダ州のオーランドにミニツアー参戦をしていた。

毎年1月初旬から約1ヶ月間、アパートに住み込んで自炊をしながらワンボックスカーのレンタカーで移動をして試合会場に運転する生活。

試合の合間に、みんなでデビット・レッドベターゴルフアカデミーでレッスンを受けていたのも、そのころだ。

1998年には、我々の前でパク・セリもデビットからレッスンを受けていた。

「今年USツアーにデビューするから注目して見ていて」とデビットが得意になって話していた。

実はパク・セリの話は、以前からティーチングプロのジョー・ティールから話を聞いていた。

18歳でアメリカに行くまでのパクをジョーがレッスンしていたジョー。夜遅くになってからジョーに電話がかけてきて、「スイングを診て欲しい」と言われたことも多かったほど、向上心が高い生徒だった。

ジョ―から「注目株だから名前を覚えておいてくれ」と言われていた。結局その年のメジャーであるUSLPGAにあっさり優勝してしまった。

でも練習場で見る限り、今回のパク・セリのショットは乱れていたようだ。

「初日、2日目ともドライバーでOBを打ってしまった」との事だ。

小生の目には、両前腕の動きが大きすぎる事による、クラブフェースの回転度合いが大きすぎるように見えた。

ちょうどF1マシーンのエンジンコントロールのようなもので、ゴルフスイングも毎日の微調整が必要となる。

しかも相手は機械では無く、心理状態が大きく影響する生身の人間なんだから、尚の事難しい!

平成161025