青春クリップ
青春クリップ(第一話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
@1981年3月23日
2日前に大学の卒業式を終えて、今はアンカレッジ経由シカゴ行きの飛行機の中。
極度の緊張状態の中で今だかつて無い生理現象をおこし、私は自分の座席とトイレを往復している。汚い話であるが、2回、3回と回を重ね、出るものも出ないのにもかかわらず、もよおすのである。
これから先、誰一人として知っている人のいない異国の地に行き、果たして何処まで自分が出来るのかという不安。
両親、兄弟、友人、親類の手前、すぐに根をあげて帰ることが出来ないプレッシャー。
今まで親元を離れて生活した事の無い私には、あまりにも大きい未知の世界への冒険である。
友人からは、「就職もせずに遊学するんだろう」と羨ましがられ、
彼女からは、「いつになったら帰ってくるの」と責められる有様。
自分から「留学する」と言い出した事を、今トイレの中で少し後悔している。
留学への憧れの気持ちを持つようになったのは、私が同志社香里中学校に入学したとき。
同志社大学の創立者である新島襄先生の物語を読んだのがきっかけ(実際は課題図書として強制的に読まされた)。
その内容は、江戸末期の鎖国時代に函館より脱国してボストンにたどり着き、以後10年間にわたるアメリカ滞在の物語。
大の読書嫌いの私に、一筋の光を照らすような、不思議とのめり込んで行く物だった。
ある場面では、読みながら大粒の涙を流すほど感銘を受けた。
この本を読み終えて「自分自身も将来アメリカに行けたらいいなあ〜」という淡い憧れの気持ちを持ち始めた。
青春クリップ(第二話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
Aアメリカ最初の日
かつてから思いをめぐらせていたアメリカにやって来たという興奮と、これから先どうなっていくのかという不安が入り交じった複雑な気持ちに襲われる。
テレビをつけて見ると何やらコメディーらしい番組が流れている。
日本に居る間にも、ラジオやテレビなどを通してヒアリングの練習をしていたつもりだが、さっぱり分からない。
今でもテレビ番組がまったく分からなかったというショックが新鮮な記憶として頭に残っている。
後からコメディーは、テレビ番組の中でも一番理解するのに難しいものであるのが分かったが、そんなことは知らずに、ただ茫然と見ていた。
その上、こんな状態でいったい先はどうなるのかという不安感と挫折感に襲われた。
最初のラウンドからKOパンチを受けたようなものであった。
夜になって映画を見に行った。
映画ならストーリーがあるので、英語が少し分からなくとも内容がつかめると思ったから。
ところが、映画館に入って気が付くと、これまたコメディー映画。
そこで映画を見に来ている人と一緒に笑えない悔しさがこみ上げてく。
隣の人が声を上げて笑っていのに、自分が笑えないというのは何とも嫌な気分である。
あまり難しい顔をしていたのか、隣の人がおかしく思い私の顔を覗きこみ何やら話しかけてくる。
彼が何を言っているのかは、もちろん分からない。
観客が笑うたびに、私と他の人との間に大きな壁が形成される。
まるで私だけが別世界から来たような孤独感に打ちのめされる。
夜、床に就いた時には、早くも海の向こう側、日本のことが目に浮かんで、熱いものがこみ上げてきた。
自分が築いてきたアメリカでの目標が遠く彼方のように思われ、現実の厳しさを感じた。
青春クリップ(第三話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
Bマクドナルドが通じない!
「ウエア イズ マクドナルド?」(マクドナルドは何処ですか?)
アメリカのミシガンに到着した次の日に、道を歩いている人に聞いてみたが、通じない。
「What
?」
(何ですか?)
と聞き返されて、もう一度同じことを言っても通じない。
こちらは、聞き返される度に自信を無くし、声が小さくなっていく。
「ハンバーガー。ハンバーガー。」と言ってみてもダメ。
最後に身振り手振りを付けて、ハンバーガーを大きな口を開けて食べる仕草をしてみると、
「ハンバーガー」と言っている自分に腹が立ってくると同時に、最後にはパントマイムのごとくハンバーガーを食べているジェスチャーをしている自分が滑稽にさえ思えてきた。
結局、相手が理解したのはジェスチャーだったのだ。
多くの英語が日本に入って来て、外来語として使われている。
しかしそれらの発音の多くは、本来のものとは大きく違っているのだ。
第一に、イントネーションの違いがある。
英語の場合は、一語を抑揚を付けて滑らかに発音するが、日本語は文字の形態からして一字一字分けて発音する。
当然結びつきようのない発音を、カタカナ英語にして使っている。
したがって、そのカタカタ英語をそのまま発音しても、通じないのが当たり前なのだ。
青春クリップ(第四話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
C異性の友達を作るのが英会話上達の早道
英語に限らす、母国語でない言葉をマスターするうえで一番の早道は、その国の異性の友達を作ることだろう。
日本人の場合、中学から大学まで十年間も英語を勉強していながら、ほとんどの人は英会話が出来ない。
私自身も例外ではなかった。
なにせ英語が苦手で大学で英語の試験を友達に代わって受けて貰ったほどだから(これは、もう時効だから告白できるのだが、、、)。
私が思うに、日本人は「語学」と言うように、英会話に関しても学問だと堅苦しくとらえ過ぎている。
「おしゃべり」などは、学問ではなく、ひとつのテクニックでしかない。
まさしくゴルフやテニスのごとく、自分が好きになって練習すれば上達し、されに上のステップへと進んで行ける。
英会話も机に向かって自分だけで勉強できるものではない。
相手がいて初めて会話が成り立つのだから。
その意味で外国の異性の友達を得るのが英会話上達の早道と思う。
しかも、そのガールフレンド或いはボーイフレンドは、全く日本語が話せないことが条件である。
しかし現実は厳しい。
私も青い目のブロンド髪の女の子に度々アタックしてみたが、
下手な鉄砲は数打っても当たらない。
そのくせ日本人の女の子は、いとも簡単に青い目の彼氏を見つけている(アメリカ人男性は、長い黒髪の女の子というだけで、エキゾティックな感覚を持っている)。
結果的に私の彼女は、同じ留学生のタイランドから来ている女性だった。
当然二人の会話は英語になるわけである。
最初は細かな所の意思疎通は難しいが、そのうちに目と目を見つめ合っただけで通じ合う事が出来るようになった。
しかし、これは逆に英会話上達の為にはあまり良くない。
大切なことは、チャンスがあれば積極的にいろんな所に顔を出し、自分の意見を主張してどんどんおしゃべりすること。
しかし、いくら発音が綺麗で流暢に話せても、内容が無ければ駄目。
下手でも良いから相手の目の奥を見つめて、自分の意見をぶつけることである。
きっとブロンド髪の彼女が出来ることだろう。
青春クリップ(第五話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
D「アメリカの大学が入学しやすい!?」だなんて?
一般にアメリカの大学は、入学するのが易しく、卒業が難しいと言われている。
日本の大学のように入学試験がないのが普通である。
だからといって簡単にどこの大学にでも、入れるというわけでもない。
では、何を基準として入学選考が行われるかと言うと、次のようなものである。
1.
高等学校の成績
2.
SAT(大学選考の為の共通試験)
3.
先生からの推薦状
4.
語学能力試験(外国人の場合)
上記で最も重要視される選考基準の一つが高校の成績である。
レベルの高い大学では、入学のために高校の成績が良くなければならない。
また大学院入学の為には、大学の成績が考慮される。
この点は日本の場合と違い、学校での成績が入学選考にあたり大きなウエイトを占める。
2.の共通試験はアメリカ全土共通のもの。これらは年間を通し数回にわたって行われる。だから、最初に満足する点数が取れなくても数回試験を受けることが出来る。
3.の推薦状は日本ではあまり馴染みが無いが、アメリカでの役割は重い。
というのも、礼儀だけでお世辞を入れた推薦状を書く習慣があまりないからなのだ。
少しくらい知っている教授に頼んでも、なかなか良いことを書いてもらえない。
だが、一度有名な教授からの推薦状が貰えれば、他の選考基準が少々劣っていても考慮される場合がある。
5.
は外国人のための語学能力テスト。アメリカを含みイギリス、カナダ、オーストラリアなど英語を母国語とする国以外の学生に要求されるテストである。
代表的なものにTOEFL(Test
of English Foreign Language)がある。
これら4つの要素を総合して入学選考が行われるのである。
したがってアメリカの大学が入学しやすいと一般に言われることを鵜呑みにしないほうが良いだろう。
青春クリップ(第六話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
Eキャンパスライフ@
アメリカと日本の大学の一つに、キャンパスの大きさがある。
私が最初に勉強していたミシガン州立大学の広さは、日本の大学の比ではない。
大学の中にはたくさんの校舎はもちろんの事、寮の数も一つや二つではなく、六つもある。
それも密集して建てられているのではなく、あちこちに点在している状態。
違う寮に住んでいる友達の部屋に遊びに行く場合、同じキャンパスでありながら歩くにはあまりにも遠く、自転車を使わなければならないくらい。
スポーツ施設も充実しており、プールはインドア、アウトドアの両方がある。
体育館はもちろん、テニスコートはなんと40面。
観客が3万人収容できるアメリカンフットボールのスタジアムなど、至れり尽くせり。
極めつけは、18ホールのチャンピオンゴルフコース。
これらの全てがキャンパス内にあるというから驚きなのだ。
大学の中にゴルフコースがあるなんて、日本では考えられるだろうか。
従って学校内の移動は、自転車が中心になってくる。
いくら寮が学校内にあるといっても、歩けば数十分とかかる校舎もざらである。
私の住んでいた寮は、レンガ造りの四階建て。
各階には20部屋あり、夫々の部屋に二人づつの学生が住んでいる。
この寮の特徴は、各階が男女に分かれている点。
各階によって学生の雰囲気が違うのが面白い。
特に、女性の階に行くと、ほのかな香りが漂ってくる。
宿題をしていて気分が乗らないときなど、気分を変えるために女性の階に行くのが一番の方法であった。
ここでは日本の寮と違って、男女の出入りが自由なのが嬉しい。
青春クリップ(第七話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
FキャンパスライフA
週末になれば各階でパーティーを主催するのである。
先週が二階の女性陣であれば、今週は一階の男性陣。
それぞれの週によって、パーティーの趣も違ったものとなる。
私が住んでいた一階のグループでパーティーをした時のどは、乱れきったものである。
学生の皆は、いたずら心旺盛。いろいろな悪戯をする。
ある時トイレの便器をサランラップで囲い込んでしまった。
用をもよおしてトイレに入って者はたまったものではない。
サランラップで跳ね返った「おつり」を貰うわけだ。
日頃は真面目に勉強している学生達も、週末になれば気分を変えてパーティーを楽しむのが一般的。
季節の良いときなどは、バックヤードでバーベキューも盛んであった。
炭火で焼く分厚いステーキは、いつものカフェテリアでの食事と違って味も抜群。
思わず日本での飯盒炊爨を思い出す。
こんな時こそ友達を作るチャンスだ。少しくらいのお酒が入ったほうがためらいなく、会話もスムーズにいく場合が多いのは不思議なくらいである。
出来る限りのパーティーに参加し、何処でも顔を突っ込んでいろんな人に出会うことにより、学校教育以外での友達も増えてきた。
これらの友達が後々いろんな面で心強い存在となったのである。
Where in Rome,
do as the Rome’s dose.
郷に入れば郷に従え。
この諺どおり、現地の人の中に入って、溶け込んで初めて分かることがいかに多いかには驚かされた。
それと同時に、日本を離れて初めて自分が日本人であるという自覚と、日本についていかに無知であったかを知り、自分自身を恥ずかしく思った。
青春クリップ(第八話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
G狙いはMBA
MBA
(Master of Business Administration) とは、経営修士課程のことで、最近は日本でも慶応大学などでこのコースが開設されて馴染みになって来た。
アメリカのトップビジネスマンが出世の為の必需品と考えているのが、この学位だ。
最も有名なのがハーバード大学のビジネススクール。
日本の専門学校的なビジネススクールの意味ではなく、大学院の経営学部といったところ。
ここではケーススタディーといって、実際の現実社会でおこっている経営戦略問題を、学生が経営者という立場に立って解決していく勉強方法を多く取り入れているのが特徴。
実際に問題を抱えている会社が、経営コンサルタントに相談に行く代わりに、学校を通じて生徒たちに問題解決を依頼するケースも少なくない。
日本の理論的な学問としての勉強よりも、より現実的な実社会に根ざしたものと言えよう。
従って、ここを卒業すれば引く手多数で、給料も一般的新卒の二、三倍はもらえる。
アメリカ社会では新卒の決まった給料というものはなく、出身の大学、学位、学部、成績によって、地位も給料も違ってくる。
ある意味では、これこそ本当の公平な社会といえよう。
ところで、日本人にとってベストの留学といえば(当然、各自の目的によって違ってくるが)、日本の大学を卒業して、アメリカの大学院で勉強することだと、私は思う。
その理由として、日本の大学を卒業すれば、それがアメリカの大学と同等と考えられ、大学院の入学を申請することが出来る。
しかし、アメリカの大学や大学院に入学することは、日本で言われているほど簡単なものではないことも事実。
反対にアメリカの大学を卒業しても、日本の大学を同様とは認められず、特定の大学院を除き、日本の大学院には入学できないのが現状である。
また第二の理由として、もし日本の企業に就職する場合、日本の大学の学位が必要となり、それに加えてアメリカの大学院を卒業していれば、鬼に金棒となる。
成績はどうあれ、卒業しているかどうかが、日本社会では後々問題となってくるから。
そして第三の理由としては、語学のハンデのある留学生にとって、かえって大学院の授業の方が、ついていき安いケースが多い。
クラスは、大学よりも少人数で、教授との繋がりが深くなりやすい。一生懸命にやっていれば、教授も分かってくれる。
英単語にしてみても、自分の専門分野だけの勉強をすればよいのだ。
留学する上で、語学力が占める割合は、そう大きくはない。
需要なのは、その人のインテリジェントとある意味での要領の良さだと思う。
青春クリップ(第九話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
H街全体がクリスマス
アメリカで一年を通じて一番のお祭りは、何と言ってもクリスマス。
それが12月25日だけではなく、11月に入ると早くも街のあちこちにクリスマスツリーが飾られ、ビルのネオンも演出される。
写真は、テキサス州アントニオ市のダウンタウン風景である。
ビル全体が大きなクリスマスツリーになっているのが面白い。
日本でも最近はいろいろな場所や百貨店などにツリーが見られるので、もはや珍しいものではないが、アメリカでの特徴は一般家庭でも飾り付けがされる。
庭先の木々に点滅のライトや、クリスマスの飾り付けをしているのを見て歩くだけでも楽しい。
夜になると、各家庭のクリスマスツリーにライトがつき、クリスマス一色の雰囲気になる。
最も有名なクリスマスツリーは、ニューヨークのロックフェラーセンター前のものと、ワシントンDCのホワイトハウス前のものだろう。
20メートルあまりのツリーに一万個を超えるライトがついている様を目のあたりにすると、思わず時間の過ぎるのを忘れる。
この時期になると、学校の寮は一箇所を除いてすべて閉鎖となる。
学生の殆どが自分の家に帰り、家族でクリスマスを過ごすのである。
残っているのは、行くところのない留学生だけとなり、キャンパス内は活気のある街の雰囲気とは対照的に、非常に寂しいものとなる。
クリスマス時期になるとホームシックにかかる留学生が多いのは、分かる気がする。
学期の間は授業に着いて行くのが大変で毎日必死だったのだが、テストが終わって一息つくと周りには誰も残っていない。
今までの忙しい日々から開放された脱力感と、これからの不安が入り混じってとても耐え難い気分の暗い休みとなる。
ちょうどそれがキャンパス内の寂しい雰囲気に助長されるがごとく。
ある意味、クリスマスとは一番楽しくもあり、一番寂しいお祭りなのであろう。
青春クリップ(第十話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
Iスポーツ感覚で英会話を
「どうすれば英語が話せるようになりますか?」
この永遠の質問は、殆どの人たちが持っている。
しかも解決されないままになっている問題であろう。
最近では、小学校から英語の授業があり、大学まで含めると合計10年以上も勉強していることになる。
にも関わらず、その英語を自分の使える道具として物にしている人は、どれだけいるだろうか。
私自身も英語が苦手で、中学から大学まで成績は良くなかった。
中学から大学までの10年間も英語を勉強し、その上英会話の塾へも通ったにもかかわらず、初めてアメリカに行った時は、チンプンカンプン。
話しても通じないし、何を言っているのかも分からない。
おまけに3,4歳の子供のほうが、私よりも流暢に喋っている。
まさに金槌で頭を殴られた気分で、唖然となり、少なからずの自信も吹っ飛んで、自分の前が真っ暗になった思いであった。
「今まで自分がやってきた英語の勉強は、いったい何だったんだろう」
「これからこんな調子で、やっていけるのだろうか?」
そんな思いで一杯になった。
いま、考えてみれば、私は英語の習得に関して、あまりにも遠回りして来たきらいがある。
これは、日本の英語の学校教育自体に少なからず原因があると思われる。
日本の学校では、英語に限らず、言葉は「語学」と呼ばれ、勉強するものと考えられている。
当然机に向かって、テキストに沿って行われる。
私が思うに、英語に限らず言葉を交わすことは、学問ではなく、勉強するという硬い感覚のものでもない。
それは、あたかもゴルフやテニスを楽しむような、スポーツ感覚なのである。
すなわち、言葉は意思疎通のための道具であり、そのテクニックは慣れ親しむことにより習得される。
従って勉強という硬い枠にはめ込まず、楽しく、自由な感覚で練習すべきものである。
ちょうどゴルフやテニスのように。
言葉は、四つの要素がある。
「話す」「聞く」「書く」「読む」である。
「聞く」と「読む」は、頭に入れる意味でインプット。
「話す」と「書く」はアウトプット。
言葉を習得する上で、一番大切なのは、インプットとアウトプットの量をバランス良く、出来る限り多くすること。
聞いてばかりで自分で話すことをしない、とか、読んでばかりで書くことをしない、ではなく、
よく読み、よく聞き、よく話し、よく書くことに努めることである。
その時の注意点は、頭で考えすぎないこと。
いちいち一つ一つの単語の意味を捕らえようとせず、全体の流れを読み取る(或いは聞き取る)事に専念する。
たとえば、CNNのニュース番組を聴いていたとしよう。
ここでは、意味が分からなくても良いから、とにかく聞くこと。
そしてアナウンサーに付いて、同じように自分でも声に出して言ってみる。
そうすれば、自分の口から出した音が、もう一度自分の耳に入り、インプットとなるわけである。
当然、アナウンサーとの発音の違いも分かってくる。
この練習は、かなり効果的。
頭で考えずに、使うのは口と耳だけ。
意味を理解しようとせず、耳と口を慣らすのが目的であり、英語に慣れ親しむのには、とても良い方法。
要するの体に入ってくるインプットと、体から出て行くアウトプットをいかに多くするかがポイントとなってくる。
どんな時でも身近にある練習素材を活用すれば、上達もより早いものとなるだろう。
上達すれば興味も湧き、面白さも増加され、さらに練習するという、良い循環が生まれてくる。
最近がテレビの音声多重をはじめ、衛星放送など、練習素材として利用出来るものが、周りに多くある。
結論は、言葉は学問という硬い感覚で考えず、スポーツ同様にいかに慣れ親しむことが大切。
いちいち頭で考えてから声に出すのではなく、とにかく口に出してみる。
口に出してはじめて、間違いが分かるから。
なぜなら、自分の言ったことは、もう一度自分の耳から入ってくるインプットとなるから。
あとはどんな機会でも自分から進んで参加し、友達を作り、会話を楽しむことである。
青春クリップ(第十一話)
学生時代、英語が苦手で塾に通えど、一向に成績が上がらなかった小生。
中学時代の「淡い思い」でスタートした留学願望から、大学卒業後、単身アメリカに留学したエピソードを、当時の日記から紹介します。
J「留学」その本当の意味
アメリカに渡って来てから約2年。
大学院修士課程修了のめどが立って来てから、しきりに卒業式の夢を見るようになった。
角帽をかぶって、卒業式に自分自身が出席しているのである。
ちょうど映画で見た風景の中に自分がいる。
そんな場面が何回となく、夢に出てきた。
そもそも、私が留学を思い立ったのは、アメリカに対する淡い憧れの気持ちからであった。
「○○が勉強したい!」という、シッカリとした目的はなかった。
そんな折、私が大学一年の時、初めて飛行に乗って、一週間のハワイ旅行に行く機会があった。
全てが新しい、異国の地の体験に魅せられたのである。
特に、見知らぬ人に対しても微笑み挨拶する習慣はすばらしい。
可愛い女の子から「ハ〜イ」などと声を掛けられると、一日気分が良くなるくらい。
背の高いスタイルの良い、女の子が歩いていて、会釈をしてくれるのである。
目線が自然と胸周辺に行く。
「私の肌に合う国」と感じた。
早速、日本に帰って両親に留学したい旨、相談した。
日本の大学を一年休学して、
「アメリカの英語学校で英語を勉強し、自分の視野を広めてくる」というパターン。
大義名分はそうであるが、厳しくない英語学校に入り、アメリカのキャンパスライルをエンジョイしたかったわけである。
私のもくろみを知ってか、おやじ曰く、
「一年ぐらい留学しても意味がない。行くのであれば日本の大学を卒業した後に三、四年間行って来い。」との事であった。
親のすねをかじって留学する私の立場とすれば、大学院に入学し、卒業することが一大使命となった。
その時から私の留学の最終目標は、まさに「卒業」の二文字になった。
でも、必死のパッチで卒業してみて、ふと考えてみると、私自身の留学の本当の意味が現れてきた気がする。
アメリカに渡って初めて、自分が日本人であり、日本文化、風習、道徳をバックグラウンドとして生きていることに気が付いた点である。
自分の国を離れてみて、今まで気付かなかったことが見えてくる来た事は、非常に大きな収穫であった。
第二は、物事への吸収力が倍増した点。
見る物、聞くこと、することの全てが新鮮で、自分自身がスポンジのように吸収していった。
例えば、街を歩いているだけで、目に入ってくる看板、人々の会話、行っている事など、全てが一つ残らず自分自身に吸収していくような感じであった。
従ってアメリカで過ごした一時間は、日本の二時間、あるいは三時間にも匹敵する価値であった。
第三には、やれば出来るという自信が出来た点である。
英語が苦手で、勉強嫌いな私でさえ、自分で目標を持ってやりさえすれば、結果は出ることが、体験を通じて分かった。
これは将来、何をする時でも大きな財産となるであろう。
最後に「留学」の本当の意味は人それぞれ違うと思う。
最初から、勉強したい専門を決めて、留学をする人など稀だと思う。
重要なのは、自分から進んで行動し、留学できる環境を整えることであろう。
留学できる時期は、一生の中でも限られた時である。
もし留学のチャンスがあり、自分自身が強く望んでいるのであれば、その機会を生かすべきである。
チャンスは自分でつかむ物なのだから。
終わり