第48回:勝利のあとにこそ、その選手の真価が試される

ム・カイトと私は、特にその週(1992年の全米オープンの週)は二人で話し合う時間を多く持った。そしてこのゴルフコースが、最高の夢を実現する場所であることを話し合ったのだ。もし、全米オープンで優勝するのであれば、どこを選ぶかといえば、このぺブルビーチGLが一番ふさわしいのだと。

 大好きなゴルフコースであるし、本物のゴルフコースで、海があり、グリ-ンが難しく、ラフが深く、タフなセッティングになっているからである。タフになればなるほど、トムには有利に働く。

 伐況がタフになることは分かっていた。メンタル面が強く、忍耐面が大変要求された最適の場所だった。彼は私にこう語っていた。
 「ジャック・ニクラスは、1972年に、ここで優勝し、トム・ワトソンが1982年にここで全米オープンに勝っている。1992年、卜ム・カイトになれば、夢が実現する--」

 トムは、全米オープンが終わって、その日のうちにプライベートプレーンで、次の仕事先のセントルイスに行つた。飛行機の中では、妻のクリスティーとトムが二人きりであった。そのときのことをトムは私にこう話した。

 「これほど幸せな時間はなかった。飛行機の中で二人きりで、全米オープンのトロフィーがあって……。ほとんど二人は、何の会話もなく、ただスマイルして(ほほ笑んで)いるだけだった。満足感に満たされた、素晴らしいフィーリングだった。まさに長年にわたり、追い求めた夢が実現した喜びだった」

 全米オープンの翌週は、ウエストチェスター(ビュイック)クラシックのトーナメントが開催された。われわれは、月曜日から水曜日まで、毎夜話し合った。私が彼に、試してもらいたかったのは、ウエストチェスターを優勝するつもりで臨むことだったのだ。単に、全米オープンチャンピオンとして参加するのではなく、翌週も勝ちにいくディシプリン(規律、決意)を試させたかったのだ。

 普通であれば、全米オープンの優勝者は、6週間ほど休みを取るものである。しかし、彼をテストする意味で、いかにハングリーさを持ち続けることができるかをチャレンジさせた。優勝することはできなかったが、彼は上位をキープして結果的に6位に入った。

 今トムは、次のメジャーを狙っている。マス夕ーズを。