第28回:あなたは不運を愛することができるか?

イスショットしたホールか、そこへ行ってみたらディボット跡の中だったり木の根っこだったりという経験はだれでもあることだろう。もしあなたがゴルフを愛しているのであれば、これらの現象も愛さなければならない。

 いつもナイスショットが出て、結果も完壁なときだけのゴルフしか愛さないのであれば、ゴルフを心から愛しているとはいえない。ゴルフはミスをする人間によってプレーされている。ミスをすることを認めなければならないゲームなのだ。私が次にあなたに問うことは、ミスをしたときにそれに対して嘆き悲しむのか?それとも解決する方法を見いだそうとするのか?ということである。解決する方法を見いだす、態度をとることができるのであれば、いくらボールが木の根っこにあったとしてもそれを受け入れ、愛することができるようになるだろう。

 「ナイスショットを打ってボールが木の根っこにある状態を、どうして愛することができるのか!」というかもしれないが、それはポールが木の根っこにあることを愛するのではなく、それに接する,態度、その次のショットを処理するチャレンジを愛するのだ。そこからパーをとることを、あるいはその状態に動じない自分の態度を愛するのだ。不運があっても文旬一ついわずに、ただプレーを続けていれば、-緒に回っているプレ-ヤ-はどう思うだろうか。あるときは、ただ出すだけかもしれない。それでも淡々とプレーを続ければ、周りのプレーヤーに印象づけることも可能になる。または、自分自身に対して、何事にも動じなかったことを誇りにすることもできるのだ。運が悪かったことを認めることはいいが、自分の気持ちを荒立てる必要はない。

 多くの人は腹を立て、本来なら1ストロークの損害であったのを、さらなるミスを犯してトリプルボギーを叩く。そして家に帰ってからもその運の悪さに対して文句をいうのだ。私は、他人と違う態度をとれることに対してプライドを持つことを、教えているプレーヤーに対していつもいっている。ミステークや不運に対応するプレーヤ-の正しい態度を身につけてもらうためだ。運は自分でつかんでくるものだ。また、多くの人は不運のことはよく人に話すが、ラッキーについてはあまり話をしない。不運は早く忘れ、幸運をいつまでも覚えておくことだ。文句をいったところで何にもならないのだから。