世界のトッププロが絶賛する世界一のボールストライカー=モー・ノーマン
(ニック・ファルド、ニック・プライス、ベン・クレンショー、フレッド・カプルス写真右から)
世界一のボールストライカー、モー・ノーマンとナチュラルゴルフが、アメリカのゴルフダイジェスト誌('95.12月号)に特集されました。 ゴルフダイジェスト誌は、150万部という世界一の部数を誇るゴルフ雑誌で、26ページにわたる特集は発刊以来初めてのことであります。 以下は、この記事の抜粋であります。 モー・ノーマンは知っている 他の誰もが知らないことを デビッド オーエン著 |
世界一のボールストライカー モー・ノーマン
1969年にカナダのトロント郊外で行われたエキジビションで、モー・ノーマンはサム・スニードと共にラウンドした。240ヤード先に川が横切っているパー4のホールで、サム・スニードは川の前で刻んだのに対して、モー・ノーマンはドライバーを握って打とうとしていた。サム・スニードがここは刻みのホールだとモー・ノーマンに言うと、彼は川の真ん中にある橋を狙っていると言ってティーショットを打った。ドライバーから放たれたボールは、狙い通りに橋を渡って向こう岸に転がって行った。
あるエキジビションでは、7時間に渡り1540球のドライバーを打ち続け、一番飛ばなかったボールは225ヤードで、全てのボールが30ヤードの幅におさまっていた。
またあるエキジビションでは、ティーアップされたボールだけをクリーンヒットし、1本のティーを動かすことなくそのまま使ってドライバーショットを131回続けた。1971年以来OB無し。
リー・トレビノは、ベン・ホーガンやバイロン・ネルソンを含めても、世界一のボールストライカーは、モー・ノーマンであると断言する。
ケン・ベンチュリーは、彼をパイプラインモーと呼んだ。1949年オンタリオで行われたアマチュアの1日トーナメントに出場した。彼に出場権利はなかったが、当日欠員のためプレーをすることができた。当日は、スニーカーでぼろぼろのゴルフバックに7本のゴルフクラブで参戦し、67のスコアーで優勝した。しかし晴れがましい優勝パーティーに出席することを嫌い、そのままその場を去った。
1966年カナダのトーナメントで12戦中5勝、2位が5回、最低でも5位であった。
1979年に50才になり、7年連続カナダプロシニアに優勝する。8年目は5位に甘んじたが、9年目に8打差をつけて再度優勝する。
40を越えるコースレコードの中で59が3回、61が4回。しかも62才の時に59の世界最年少のエッジシュウトを達成する。今年カナダゴルフ協会のゴルフ殿堂入りを、ジャック・ニクラウスと共にしている。
少年時代は自閉症で見知らぬ人と接するのが苦手で、視線を合わせることもできない。ゴルフ以外は、興味なし。現在も一月400ドルのモーテルに住み、電話もない。映画の「レインマン」の主人公そのものである。しかし記憶力がすごく良く、ラウンドした全てのゴルフコース、ゴルフショットを覚えている。
1995年のPGAショウにて、タイトリスト&フィットジョイのユーライン会長より、一生涯にわたり毎月5000ドルをモー・ノーマンに進呈する旨の契約を行われる。ボビー・ジョーンズやベン・ホーガン同様に、モー・ノーマンの今までの偉業に対する感謝と尊敬のしるしであるとのこと。またモー・ノーマンのスイングをビデオに納め、今後のゴルフ界に受け継がれるべく努力をする。
1955、56年カナディアンアマチュアを連覇して、マスターズ出場の招待を受けた。
初日は75とアマチュアとしてはまずまず。競技終了後に、練習場にて憧れのサム・スニードからアドバイスを受けたモーは、まるで子供のように嬉しくなり、その後4時間以上もとりつかれたようにボールを打ち続け、気が付くといつしか手は血にまみれ、クラブを握ることができないほどになってしまった。それが原因で、翌日は9ホールをプレーしただけで棄権しなければならなかった。
トム・ワトソン | 「だれがいちばんいいボールを打てるか。カナダのモー・ノーマンだ。」 |
リー・トレビノ | 「世界で最も正確なゴルファー。彼こそ生きる伝説。」 |
ケン・ベンチュリー | 「彼のボールはまさにパイプラインの中を抜けていくように正確。」 |
ゲーリー・プレイヤー | 「不動のスイング」 |
サム・スニード | 「完璧な手の使い方」 |